東京地方裁判所 昭和55年(ワ)10020号 判決 1982年2月22日
原告
武田儀三郎
右訴訟代理人
山崎
同
川島鈴子
被告
宗教法人本圀寺
右代表者
梅本鳳泰
右訴訟代理人
島田徳郎
同
島田武夫
被告
国家公務員共済組合連合会
右代表者
太田満男
右訴訟代理人
鈴木忠一
同
菊井三郎
被告
戸田建設株式会社
右代表者
戸田順之助
右訴訟代理人
赤沢敬之
同
三木俊博
主文
一 原告の各被告に対する請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実《省略》
理由
一原告主張の本件賃貸借契約の成立及びこれが通謀虚偽表示であるとの被告らの抗弁についての判断はさておき、本件賃貸借契約と宗教法人令第一一条の適用の点を先ず判断する。
原告が宗教法人令による登記を経た宗教法人であつたこと、及び原告が宗教法人法に基づく設立登記を経たのが昭和三〇年二月一九日であることは当事者間に争いない。したがつて原告主張の昭和二九年九月三〇日の本件賃貸借契約当時には原告につき宗教法人令の規定がなお適用されることになる(宗教法人法附則三、四項)。そして、原告の主張自体から明かなとおり、本件賃貸借契約は被告本圀寺の本堂を除くほとんど一切の建物であつてその宗教活動に必要な重要施設を含み、また、期間の定めはないというものの、昭和四一年二月ないし昭和五〇年二、三月頃までも賃借権を有したというのであつて、長期にわたる賃貸借を前提とするものであつたということになるから、寺院の一部不動産のいわゆる短期賃貸借とは趣きを異にし、宗教法人令第一一条一項一号にいう「処分」に当たるというべきである(逆に、処分行為に当らない程度のものであつたなら、そのことだけで原告の損害の主張が成り立たなくなるであろう。原告の主張する取壊しの時まで権利を主張しうるようなものではないはずだからである。)。そうすると、宗教法人令一一条一項により、所属宗派の主管者の承認を要し、これを欠く行為は無効とされる(同条二項)。<証拠>によれば、被告本圀寺は宗教法人令下において登記上日蓮宗に属するものとされ、宗教法人法に基づく設立に際して作成された規則(昭和二九年四月に京都府知事により認証されている。)においても、日蓮宗に属する旨が定められており、同法による設立後の登記でもその旨記載されていることが認められ、これによれば、被告本圀寺は本件賃貸借契約当時日蓮宗に所属していたというべきである。原告は、被告本圀寺は昭和二六年頃日蓮宗から独立を宣言していたというが、宗教法人の被包括関係の廃止は、そのような一方的な宣言によつて生ずるものではない。確かに、宗教法人令の下にあつては、被包括関係の廃止のための手続が明確を欠き、ことに包括団体の同意を要するかどうか等をめぐつて解釈上の争いがあつたが、宗教法人法の制定によりこの点が立法的に解決され、宗教法人令による宗教法人についてもその手続が定められている(同法附則一三、一四項)。したがつて、宗教法人法の施行された昭和二六年四月三日以後は、宗教法人法の定めるところに従つて(包括団体の承認を要することなく。)被包括関係を廃止でき、またこの方法によつてのみ包括関係の廃止が認められるべきであつて、単に独立を宣言するというようなことだけで被包括関係を廃止し得る理由はない(なお、それ以前でも、少なくとも被包括法人における規則の改正等の手続を要すると解され、単なる主管者の宣言では足りないことを附言しておく。)。被包括関係の廃止をいう原告の主張は理由がない。ところで、本件賃貸借契約の締結につき被告本圀寺の属する日蓮宗の主管者の承認を得ていないことは原告も認めるところであるから、結局本件賃貸借契約は、仮に成立を認められたとしても、その効力を有しないといわなければならない。原告は、日蓮宗において、被告本圀寺の他の処分行為に異議を述べなかつたとか、本件賃貸借契約についても別に異議もなく黙認されていたともいうが、他の処分行為が黙認されたからといつて本件賃貸借契約につき承認があつたことにならないのはもちろん、弁論の全趣旨によれば、加藤是勝と日蓮宗(身延山久遠寺)との間に当時対立紛争が続いていたことが認められることからいつて(原告もこのことはむしろ認めているといつてもよい。)、日蓮宗において本件賃貸借契約を承認していたものとは認め難く原告の主張はいずれも採用できない。
以上判断したところからすれば、原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当として棄却を免れない。
二<省略>
三よつて、原告の各被告に対する請求をいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(上谷清 生田治郎 倉澤千巖)